楢村友隆先生のご紹介


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顧問・楢村 友隆

ならむら・ともたか

東亜大学 医療学部医療工学科/アセアンセンター 准教授

カンボジア王国 International University 客員教授

博士(保健科学)、臨床工学技士

2017年10月より、株式会社 旅行透析 顧問に就任

 

本メディカル工学専門学校臨床工学科卒業、九州保健福祉大学大学院保健科学研究科博士後期課程修了。(医社)医伸会いでクリニック 臨床工学技士長を歴任後、千葉科学大学、純真学園大学を経て現職。

日本臨床工学技士会 代議員・国際交流委員会委員・透析関連安全委員会委員、兵庫県臨床工学技士会 理事、臨床工学国際推進財団 理事、日本血液浄化技術学会 代議員・国際委員会委員、日本透析医学会 発展途上国の透析スタッフ育成プログラム小委員会委員、SO/TC150/SC2/WG5(透析液製造規格関連 国際標準化機構ワーキンググループ) 日本代表委員。専門は臨床工学、血液透析学、微生物制御学。

 

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フィリピン マニラ 神戸クリニックにて水質検査中の楢村先生

世界の透析事情4 ミャンマー連邦共和国

ミャンマー連邦共和国 

 

1.ミャンマー連邦共和国について

ミャンマー連邦共和国(通称ミャンマー)は、人口およそ5,100万人の多民族国家であり、1948年にイギリスから独立しました。日本からは、成田空港から1日1便、ヤンゴンへの直行便が就航しており所要時間は約7.5時間ほどです。入国の際にはVISAが必要であり、観光VISAであればインターネット経由で申請・入手ができます(シングルVISA 50 US$)。

ミャンマーは度々国名が変更されており、現在の日本における正式呼称はミャンマー連邦共和国(Republic of the Union of Myanmar)となっています。ちなみに旧称は、1948年の独立から1974年までビルマ連邦、1974年から1988年までビルマ連邦社会主義共和国、1988年クーデターにより政権を掌握した軍事政権は国名をビルマ連邦に戻しましたが、翌1989年ミャンマー連邦に改称しました。この際同時に首都もラングーンからヤンゴンに改称され、さらに2006年10月、首都をヤンゴンから同国中部の都市ネピドーへ変更しました。現在(2018年3月現在)の首都はネピドーです。2011年3月、新政府が発足し、それに伴い国名が現在のミャンマー連邦共和国に変更されました。ちなみに、これらの変更は英語表記のみで、ビルマ語での国名は以前のまま同じです。軍事政権の正当性を否定する人物・組織は、改名が軍事政権による一方的なものだとして英語国名の変更を認めておらず、名称変更を認めていないビルマ連邦国民連合政府のほか、米国、イギリス、オーストラリア政府などは現在でも「ビルマ」と呼んでおり、EUは両表記を併記しています。

ミャンマー(当時のビルマ)はかつて東南アジア有数の大国であり、イギリス統治下においても東南アジアで最も豊かな地域のひとつでしたが、1962年から1988年まで政治を掌握していたネ・ウィン軍事政権は、ビルマ式社会主義という国家基本要綱に基づき、国有企業主導の統制経済による開発を行ないました。この間、主要産業の企業・貿易は国家の管理下に置かれ、土地も国有化されました。このころからの鎖国的な経済体制により、最貧国と認定される程にビルマ経済は著しく停滞し、他のアジア諸国と大きな差をつけられる結果となりました。1962年から他の政党の活動を禁止する一党支配体制が続いていましたが、1988年にネ・ウィン退陣と民主化を求める大衆運動が高揚し、ネ・ウィン氏は失脚することになります。その後、民主化指導者アウンサンスーチー氏らは国民民主連盟を結党しましたが、アウンサンスーチー氏は選挙前の1989年に自宅軟禁され、以降、彼女は長期軟禁と解放の繰り返しを経験することになりました。ネ・ウィン氏失脚後は国民によるデモと軍事クーデターによる弾圧が繰り返され、結局その後も実質上の軍事政権が長らく継続しました。

2007年、テイン・セイン氏が新首相に就任し、前首相ソー・ウィン氏まで続いていた軍主導の政治体制の改革がテイン・セイン氏の下で開始され、民主化が一歩一歩計られるようになります。2011年、ネピドーで総選挙後初の連邦議会が開幕し、テイン・セイン氏がミャンマー大統領に就任しました。軍事政権発足以来ミャンマーの最高決定機関であった国家平和発展評議会は解散し、権限が新政府に移譲されました。これにより軍政に終止符が打たれた形となりましたが、新政府は軍関係者が多数を占めており実質的な軍政支配が続くともみられていました。しかし、後に軟禁状態を解かれたアウンサンスーチー氏は政府との話し合いを持ち、2015年、民政復帰後では初めてとなる総選挙が実施され、アウンサンスーチー氏率いる国民民主連盟が圧勝しました。国民民主連盟は党首のアウンサンスーチー氏の大統領就任を要求したものの、ミャンマー連邦共和国憲法の規定(外国籍の配偶者や子を持つ者は大統領になることはできない)と国軍の反対によってそれはかなわず、アウンサンスーチー氏側近のテイン・チョー氏を大統領候補に擁立し、2016年、正式にテイン・チョー氏が大統領に就任しました。ミャンマーで軍人以外の大統領が誕生するのは54年ぶりであり、半世紀余りに及んだ軍事統治が終結した瞬間でした。新政権ではアウンサンスーチー氏は外務大臣兼大統領府大臣、国家顧問に就任し、現在、実質的に政権の実権を掌握しています。ミャンマー1.jpg

写真@ 2013年ごろのミャンマー・ヤンゴン市の街並み。ここ数年で道路も整備され、かなり近代化してきました。

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写真A ミャンマーの観光地として有名なバガン遺跡はヤンゴンから飛行機で40分程度のところに位置しています。カンボジアのアンコール・ワット、インドネシアのボロブドゥールと並び、世界三大仏教遺跡のひとつです。

2.ミャンマーの透析事情について

 ミャンマーでは透析治療および腎移植ともに行われてはいますが、健康保険制度が脆弱であり、全ての腎不全患者が透析治療の恩恵にあずかっているとは言い難い状況にあります。公的病院(国立病院や軍病院)は比較的安価に透析治療が受けられるため、現地のミャンマー人の多くは公的病院にて治療を行っています。近年、私立病院も多く建設され、外国人は主に私立病院にて透析治療を行っています。

日本人が旅行透析を受ける場合、保険システムや衛生面、混雑状況などを加味すると、公的病院で治療を受けるのはかなりハードルが高いです(お勧めしません…)。下記に示すような私立病院での透析治療をお勧めいたします。

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写真B ヤンゴン市内のとある公的病院。建物はかなり老朽化が進んでいます。ミャンマー4.jpg

写真C 急性腎不全から慢性腎不全に移行するケースも多く、急性腎不全を呈する主な原因は毒蛇による蛇咬傷です。ミャンマー人は靴を履く習慣がないため(皆さん、草履しか履きません)、農作業中などによく蛇に咬まれ、そのうち半数はその場で命を落とし、半数は抗毒血清と人工透析治療により救命されます。ミャンマーには多くの毒蛇が生息しており、特にキングコブラに咬まれた場合はまず救命できないので注意が必要です(都心部では蛇はそれほど出没しないため、雑木林や草むらに立ち入らない限り大丈夫です)。

写真左は病院にある毒蛇コレクション(咬まれた方が病院に持ち込んだもの)、写真右は実際に毒蛇に咬まれて入院中の患者。話を聞くと、今回で蛇に咬まれて生死を彷徨ったのは3回目とのことで、今回も奇跡的に命を取り留めることができました。退院後は農作業時に靴を履くよう勧めたが、歩きにくいとの理由から今後も草履を履くとのことでした…。

 

@)パラミ総合病院(Parami General Hospital)

 元々小児専門病院でしたが現在は総合病院として機能しており、外国人患者が多く受診しています。また、小児医療は国内最高水準を誇っています。当病院の透析施設は、日本に本社を置くグリーンホスピタルサプライ(株)が出資して運営しており、透析治療もミャンマー国内屈指の治療レベルを誇っています。透析センターの設計、スタッフ指導などは、グリーンホスピタルサプライ(株)所属の臨床工学技士が行っています。

 最上階には日本語デスクが設けられており、入院時なども日本語で対応可能です。また、医師は全員英語でのコミュニケーションが可能であり、看護スタッフの多くも英語にてコミュニケーションをとることが可能です。

 Parami General Hospitalでの透析治療の様子は、池間社長執筆の「2018年2月14日透析施設・視察レポート(https://透析検索.com/report/2018/02/14-123116.htm)」をご参照頂ければ幸いです。

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写真C パラミ総合病院(Parami General Hospital)の全景と入口

 

A)パンラインシロアム病院(Pun Hlaing Siloam Hospital)

 2005年に建てられた私立病院で、敷地内にゴルフ場や高所得者向けの家が立ち並ぶ広大なリゾート地の中に建てられている。外装・内装とも近代的で、多くの外国人が利用している病院であり、透析室も通常の透析室とVIP向けの半個室の透析室があります。

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写真 パンラインシロアム病院(Pun Hlaing Siloam Hospital)の入口と透析室の風景。写真下側はVIP専用入院部屋とVIP専用透析室(半個室)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

世界の透析事情1 タイ王国

タイ王国 

タイ王国(通称タイ)は、人口およそ7,000万人の立憲君主制国家であり、東南アジアではインドネシアに次ぐ経済規模を誇っています。

首都バンコクにあるスワンナプーム国際空港は世界中の航空会社が乗り入れ、アジア諸国のハブ空港としての役割を担っており、透析関連の日系企業も数多く進出している国として知られています。

アジア諸国における透析施設数・患者数は年々増加しており、タイも例外ではなく、2015年現在透析患者数4万人、透析施設数750施設と報告されています。タイでは医療保険財源が3種類あり、国民の殆どが何らかの公的保険に加入する「国民皆保険」が達成されています。

保健省から公務員医療保険への予算の割当は“出来高払い”であるのに対し、国民の多くが加盟している社会医療保険もしくは国民医療保険への予算は加入者数に依存する“人頭払い”で決められています。

公的保険により施設に支払われる透析治療費は1回あたり1,500 バーツ(1バーツ≒3.4円、2017年10月現在)と低額であり(日本の透析医療費は1回約22,000円+材料費)、材料費や薬剤費などは全て“まるめ”であるため、混合診療により患者に直接負担を求めている病院もあります。

外国人は自由診療の扱いとなり、病院により透析医療費は異なります。医療ツーリズムに注力しており、外国人向けの病院が多いこともタイの特徴の一つです。

@ King Chulalongkorn Memorial Hospital

国内トップレベルの国立Chulalongkorn大学が擁するKing Chulalongkorn Memorial Hospital。シーロム駅の近くにある約1500床を誇る巨大総合病院で、公的保険が利用できるため一般外来患者は1日に5,000人以上訪れます。

最近オープンした新透析室。オンラインHDF治療も施行できるよう、水処理装置は最新鋭のものが導入されており、日本透析医学会が定めている透析液水質基準達成を目指しています。

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A Samitivej Srinakarin Hospital

アジアトップレベルの医療水準を誇る私立サミティヴェート病院グループのSamitivej Srinakarin Hospital。バンコク東部スワンルワン区シーナカリン通りにあり、タイ最大のこども病院も併設しています。タイの医療ツーリズムの拠点病院として機能しており、英語、日本語を含む多言語通訳が常駐しています。人工透析治療も行っており、オンラインHDF治療にも対応しています。

日本人が多く住むワッタナー区スクンヴィット通りにある本院のSamitivej Sukhumvit Hospitalは、日本人患者が多く訪れることでも有名です。

(透析室内の写真は、プライバシー保護のため画像処理をしています。)

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世界の透析事情2 ブラジル

ブラジル連邦共和国

 ブラジル連邦共和国、通称ブラジルは南アメリカに位置する連邦共和制国家です。南米大陸で最大の面積を誇り、チリとエクアドルを除く南米10ヶ国と国境を接しています。南米大陸最大の面積を擁する国家であると同時に、最大の領土、人口を擁する国家で、面積は日本の約22.5倍(世界第5位)にあたり、人口は約1億9800万人(世界第5位)となっています。ポルトガルの植民地時代が長かったことから、公用語としてポルトガル語が使用されています。

 ブラジルまでは日本からの直行便がなく、米国もしくは欧州・中近東で乗り継ぐ必要があります。私は伊丹空港から出発して東回りでブラジルに入りましたが、伊丹 → 成田空港(約1時間30分)、成田空港 → 米国・ニューヨーク(約12時間30分)、米国・ニューヨーク → ブラジル・サンパウロ(約12時間)と、飛行機に搭乗している時間だけでも実に26時間ほどを要し、乗継のための手続きや空港での待ち時間を入れると、およそ片道40時間を要しました(米国では9.11事件以降、セキュリティーチェックがかなり強化されており、近年国際便の乗継手続きにかなりの時間を要することがあるため、時間に余裕を持って乗継便を押さえています)。ちなみに、帰りは隣国アルゼンチンから帰国したため、さらに乗継が増え、帰国に50時間を要しました…。

 

@ Clinica CINE(写真1〜3)

Clinica CINEは、患者数約250名の大規模透析クリニックです。透析スケジュールは朝6時から1クール目を開始し、1日3クール施行しています。透析は椅子型が主流で、ベッド型は皆無です。殆どの透析装置が欧州製ですが、日本の透析装置も一部使用されています。透析は1回あたり150レアル(1レアル≒50円)(2010年)であり、全額政府負担です。透析条件はQD:500mL/min、QB:300〜400mL/min、透析時間:4h、Kt/v:1.4以上を目標とすることが国内標準となっています。

 

A Clinica CNTT(写真4〜7)

 Clinica CNTTは、透析患者数250名、CAPD患者数80名ほどのこちらも大規模透析クリニックです。透析スケジュールはClinica CINEと同様です。

両施設ともダイアライザはリユース(再使用)されており、洗浄消毒方法が専用装置による洗浄消毒か手作業洗浄消毒かでリユース回数が異なります。ブラジル政府の規定により、専用装置による洗浄消毒の場合は20回/1本、手作業の場合は12回/1本ほどリユースされています。

 

南米全体ではメタボリック症候群患者が増加しており、糖尿病性腎症から透析導入となるケースが最も多いですが、ブラジル国内での報告では統計上それほど多くありません。これに関しては、実際に患者数が少ないのではなく、末期腎不全の診断または治療が十分に行われていない可能性が指摘されています1)。ブラジルの食事はやや味が濃い目で非常に美味しいですが、殆どの料理に塩がしっかりときかされており、ケーキやアイスクリーム、チョコレートなどは、甘いもの好きな私でもあまりにも甘すぎて口にすることができないレベルです(甘味成分の正体は人工甘味料です)。ブラジルを旅行される場合、食事からの塩分摂取過多による体重増加に注意を払う必要があります。現地の医療スタッフに透析間の平均的な体重増加および除水量を尋ねたところ、体重増加は平均4kg、除水は1回4時間透析で約4Lが平均であるとのことでした。

 文献

1)    大橋温、加藤明彦:各国の透析・腎移植事情(中南米). 臨床透析 23:233-238, 2007

 (透析室内の写真は、プライバシー保護のため画像処理をしています。)


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写真1 サンパウロ市内の様子

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写真2 Clinica CINEの様子

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写真3 Clinica CINEでの透析風景

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写真4 Clinica CNTTの外観

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写真5 Clinica CNTTでの透析風景

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写真6 日本では使用されないオゾン消毒システム

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写真7 ダイアライザーのリユース作業風景

世界の透析事情3 カンボジア王国

カンボジア王国 

 

カンボジア王国(通称カンボジア)は、人口およそ1,500万人の立憲君主制国家であり、1953年にフランスから独立したものの、その後内戦を繰り返し、1993年に現在のカンボジア王国として誕生しました。首都プノンペンから飛行機で1時間ほどのところにあるシェムリアップの世界遺産アンコールワットは世界3大仏教遺跡として有名です。

カンボジアの歴史は悲劇の歴史として知られています。1953年にフランスから独立したカンボジアは、その後ベトナム戦争に巻き込まれることとなり、米国からの空爆で数十万人規模の一般人が犠牲となった上、農業大国から一気に食糧難へと陥落しました。1973年、ベトナム戦争は一旦終息に向かいましたが、カンボジア国内における内戦は続きました。1975年、毛沢東思想を信条とするクメールルージュ勢力がカンボジアを統制し、ポルポト政権がスタートします。このポルポトは、原始共産主義を掲げ、格差・階級が存在しない社会を作り上げるために、カンボジアを原始時代にまで戻す政策を取りました。ポルポトは10才〜14才程のクメールルージュ勢力の兵隊を大量にたずさえ、知識人である医師・教師・技術者や知識を得ようとする学生を皆殺しにしました。眼鏡をかけているから知識人、手がきれいだから知識人、イケメン・美女は知識人、と多くの大人を容赦なく殺害し、ポルポト政権4年間の間に当時800万人程度の人口であったカンボジアで実に200万人以上の大人を殺害しました。その後も内戦は続き、内戦が終了したのは1991年です。現在、日本の援助により首都圏の地雷はほぼ撤去され、失われた時代から再建を行っている真っ只中にあります。

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写真は、首都プノンペンにあるキリングフィールドと呼ばれる、ポルポト時代に大量虐殺が行われた場所です。当時、この地で多いときには1日1万人近くがハチの巣状態になるまで銃で撃たれたそうです。現在は慰霊のために塔が立てられていますが、その中には当時殺害された人々の頭蓋骨がびっしりと並べられています。骨や衣類はかなりの量が回収されていますが、未だに写真@右下のように地面のあちこちに人の衣服が埋まったままの状態になっています。カンボジアのこの惨劇は、「キリングフィールド」という映画にもなっています。

 

 

カンボジアでは歴史的背景から医療面で他個より立ち遅れていましたが、1997年に国内初の透析センターが設立されました。2015年現在、国内の透析患者数は550人、透析施設は10施設ほどで、透析施設のある場所は首都プノンペン、観光地のシェムリアップ、カンボジア西部に位置するバタンバンの3地域のみです。1回の透析治療費はおよそ50 USDであり、健康保険制度が発達していないため、国内の透析患者は全額自費で治療を受けなければなりません。検査費用等も別途支払いが必要です。サラリーマンの平均月収が3万円にも満たない国ですのでお金持ちしか治療を受けることができず、多くの国内透析患者は透析治療を受けることが困難です。

Sen Sok International University Hospital (SSIUH)

プノンペン市内にあるInternational 大学が擁する大学付属病院。途上国への血液浄化技術支援を行う日本のNPO団体「いつでもどこでも血液浄化インターナショナル」が2010年に寄贈した血液浄化センターです(Cambodia-Japan Friendship Blood Purification Center)。

ここでは、日本で研修を受けた医師が勤務しており、現在でも同NPO団体が支援を行っています。日本語は通じませんが、英語は通じます。

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