世界の透析事情3 カンボジア王国

カンボジア王国 

 

カンボジア王国(通称カンボジア)は、人口およそ1,500万人の立憲君主制国家であり、1953年にフランスから独立したものの、その後内戦を繰り返し、1993年に現在のカンボジア王国として誕生しました。首都プノンペンから飛行機で1時間ほどのところにあるシェムリアップの世界遺産アンコールワットは世界3大仏教遺跡として有名です。

カンボジアの歴史は悲劇の歴史として知られています。1953年にフランスから独立したカンボジアは、その後ベトナム戦争に巻き込まれることとなり、米国からの空爆で数十万人規模の一般人が犠牲となった上、農業大国から一気に食糧難へと陥落しました。1973年、ベトナム戦争は一旦終息に向かいましたが、カンボジア国内における内戦は続きました。1975年、毛沢東思想を信条とするクメールルージュ勢力がカンボジアを統制し、ポルポト政権がスタートします。このポルポトは、原始共産主義を掲げ、格差・階級が存在しない社会を作り上げるために、カンボジアを原始時代にまで戻す政策を取りました。ポルポトは10才〜14才程のクメールルージュ勢力の兵隊を大量にたずさえ、知識人である医師・教師・技術者や知識を得ようとする学生を皆殺しにしました。眼鏡をかけているから知識人、手がきれいだから知識人、イケメン・美女は知識人、と多くの大人を容赦なく殺害し、ポルポト政権4年間の間に当時800万人程度の人口であったカンボジアで実に200万人以上の大人を殺害しました。その後も内戦は続き、内戦が終了したのは1991年です。現在、日本の援助により首都圏の地雷はほぼ撤去され、失われた時代から再建を行っている真っ只中にあります。

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写真は、首都プノンペンにあるキリングフィールドと呼ばれる、ポルポト時代に大量虐殺が行われた場所です。当時、この地で多いときには1日1万人近くがハチの巣状態になるまで銃で撃たれたそうです。現在は慰霊のために塔が立てられていますが、その中には当時殺害された人々の頭蓋骨がびっしりと並べられています。骨や衣類はかなりの量が回収されていますが、未だに写真@右下のように地面のあちこちに人の衣服が埋まったままの状態になっています。カンボジアのこの惨劇は、「キリングフィールド」という映画にもなっています。

 

 

カンボジアでは歴史的背景から医療面で他個より立ち遅れていましたが、1997年に国内初の透析センターが設立されました。2015年現在、国内の透析患者数は550人、透析施設は10施設ほどで、透析施設のある場所は首都プノンペン、観光地のシェムリアップ、カンボジア西部に位置するバタンバンの3地域のみです。1回の透析治療費はおよそ50 USDであり、健康保険制度が発達していないため、国内の透析患者は全額自費で治療を受けなければなりません。検査費用等も別途支払いが必要です。サラリーマンの平均月収が3万円にも満たない国ですのでお金持ちしか治療を受けることができず、多くの国内透析患者は透析治療を受けることが困難です。

Sen Sok International University Hospital (SSIUH)

プノンペン市内にあるInternational 大学が擁する大学付属病院。途上国への血液浄化技術支援を行う日本のNPO団体「いつでもどこでも血液浄化インターナショナル」が2010年に寄贈した血液浄化センターです(Cambodia-Japan Friendship Blood Purification Center)。

ここでは、日本で研修を受けた医師が勤務しており、現在でも同NPO団体が支援を行っています。日本語は通じませんが、英語は通じます。

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